RSS|archives|admin

スポンサーサイト

--.--.-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


Category:スポンサー広告 | Comment(-) | Trackback(-) | top↑ |

阪神淡路大震災から20年 ソウル・フラワー・ユニオン/満月の夕

2015.01.17 Sat
阪神淡路大震災が起きて、今日でまる20年なんだ。

その日、僕ら夫婦は、お正月を外して帰省(今治)した帰り、奥さんの実家にいた。
神戸市の長田区。

後で分かったけど、家の真下に活断層が通っていた。
家は路地を挟んだ南隣の屋根に、乗り上げていた。

神戸は1,000年以上、震度5以上の地震はなかったらしい。

僕らが寝てた奥さんの部屋も、タンスの上に昔のラジオ付き真空管レコードプレーヤー(5kgやそこらはある筈)を乗せて保管してたり、と地震なんてまるで意識もしていなかった。
ましてや、震災と呼ばれる地震なんて・・・。

上からの落下の仕方が幸いして、僕らも、ご両親も、おばあちゃんも、猫のバニラも、かすり傷程度ですんだ。
地震だと知ったのは、随分後の事だった。


あるコンビニでは、「こんな時は助け合わなあかん!」と言って商品を道行く人に配り、あるコンビニは地震直後の午前中には強奪に遭い、もぬけの殻になった。

僕らは避難所でトイレの処理(水が流れないからね)に困り果てている頃、村山首相が慰問に来る小学校にだけは電気が通ったと聞いた。

「今日午後4時の段階で区役所ロビーで受け付けた人が優先的に仮設住宅に入れる」等と言う流言飛語に、「そんなバカな!」と思いながらも並ばざるをえなかった。

僕は、といえば、玄関が潰れて靴がなくなり、色んな人に恵んでもらったのだが、
1日ずつ穿いている物が、靴下3枚重ね→部屋履きスリッパ→ビニールのサンダル→スニーカーと出世して行った事に単純に喜んだりしていた。

消防署の前の家が1日中燃え続けているのに、設備が壊され火を消す事が誰にも出来なかった。
「暖かいね」と呟いた覚えがある。

また、ちょっと離れた親戚の家に避難場所を移し、ガソリンの補給をしていく途中、ラジオから流れたどこかのヘンテコなオーケストラが奏でる「マイ・ガール」で涙が出て来たりした。何日かぶりに聞く音楽だった。

日が経つにつれ近所の瓦礫の中から、ご遺体が運び出されるのを見るのにも慣れて来た。


毎日、火の粉をかぶりながら臨時公衆電話から会社に「今日も生きています」という連絡すると「で、何時から出社できる?」と返された。

何日か後、誰かに貰ったパジャマスエットを着て、偶然見つけた(もう時効ですよね・・・)新車の自転車を漕いで、神戸・長田から西宮北口まで帰った。
「此処から先は倒壊寸前のビルがたくさんあります!絶対に立ち入らないで下さい!」と遠くからハンドマイクで潰れた声が叫んでた。色んな場所で。
(もっと、早くゆうてくれよ・・・今更引き返す事も出来んがな・・・)と何度も思いながらも5時間かけて西宮北口に着いた。新車だった自転車は、廃車寸前になっていた。

大阪に着くと、街は1月16日以前と変わらなかった。
「で、何時から出社できる?」と言った上司は「おかえり。ちゃんと有休扱いにしてあげるから」と声をかけてきた。

武庫川を挟んで東と西とでは、被害に相当の開きがあり、(その人は)とても今の状況を想像すら出来なかったんだな、と後からわかった。

真偽のほどはわからないけど、関西の人はバイタリティーが豊か過ぎて、すぐにプレハブ住宅を、元の家の場所に建て、今までの生活を取り戻そうとする人が多かったらしい。長田も、確かにプレハブがたくさん建った。都市再開発計画も全然決まってないのに…このプレハブ住宅、行政はどうするつもりなんやろ…って思った。


もう20年になるんだ。
忘れた方が良い事も、忘れてはいけない事もあるんだと思う。

よく「戦前」「戦後」という歴史の区切り方をするけど、神戸近辺の人は「震災前」「震災後」という分け方を自然にするようになっている。
他愛の無い話をする時も、「あれってそんな昔の事やった?震災前?後?」という風に。

あれから東日本大震災も起こった。異常な豪雪で苦しんでいる人達、それらの人達のこともココロの片隅に考えながら、思い出すままに乱文を書き殴りました・・・。




スポンサーサイト
Category:音楽っていいよね! | Comment(0) | Trackback(0) | top↑ |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。